綴織技術保存会活動




伝統工芸士を中心とした職人で組織する綴織の技術を保存するために活動している会です。上七軒工房では一度に4~8名が織ることができる大きな織機を含め、約16 台の織機を完備しております。伝統工芸士をはじめ、工房の職人が作品づくりに心を込めてサポートいたします。

琳派400年記念

琳派400年記念・紅梅白梅に流水を綴織にて表現して皆様にご高覧賜りたく存じます。織り・表現を長年携わって参りまして、これまでにない、織りを効果的に表現をしてみました。思い切ってこれまでの、織表現では織上げに要する期間は1年を要しますが、本作品は 1/3ぐらいです。しかも効果的な表現ができたと、思っております。

綴織技術保存会BLOG

代表の平野喜久夫のブログ。伝統工芸 綴織技術保存会・奏絲綴苑を立ち上げ、 技術の継承、後継者の育成を図りながら、幅広く綴織を 理解して頂き、ファンを増やし、理解者の方々の応援を お願い致します。伝統工芸士を中心に24名で活動して おります。

facebook

西陣織のひとつである 「西陣爪掻本綴織(つめかきほんつづれおり)」 という織物の普及を目指す団体です。 こちらのfacebookでは、 織物のこと、奏絲綴苑のこと、イベントのお知らせ、 また、工房での日常などをつづっていく予定です。 どうぞ今後ともよろしくお願いいたします!

綴織とは

正式名称を「西陣爪掻本綴織(つめがきほんつづれおり)」と称され、西陣織の中で最も歴史があり、爪で織る芸術品と呼ばれています。綴織の特長は、多彩な単色糸を使用することに加え、それだけでは表現できない微妙な色合いを割り杢(わりもく)技法(異なる色の単色糸をより合わせることによって、中間色をつくる技法)にて作り上げるところにあります。また、グラデーションを表現する技術を駆使することで、作品に立体感・臨場感を表現します。職人それぞれの技術と感性で織り上げた織物は、絵画のようでありながら織物の深みを感じさせます。

「西陣」の名が広く世に知れ渡るきっかけになったのは、室町時代中期に起こった、細川勝元の東軍と山名宗全の西軍の戦い、「応仁の乱」です。都は戦場と化し、織工たちは土地を追われ、各地に散りました。しかし約10年間に及ぶ戦が終わると彼らは再び京都に帰還し、諸国で習い覚えた新しい技術を加えて京織物を再現したのです。戦の際、西軍が陣を張った場所から「西陣」という呼び名が生まれ、その地で織られた織物を西陣織と呼ぶようになりました。周辺に寺院や茶道の家元、官人屋敷などが多くあったことから、「西陣」ブランドはやがて高級織物として発展します。そして江戸時代には、朝廷や徳川幕府に献上され、諸大名や大奥など上流階級の人々に愛される、芸術品として最高峰の地位を確立するまでになりました。このように、西陣織が発展した歴史には、朝廷直属の機関だったというベースに加え、戦火を逃れた職人たちが各国から持ち帰った技術があったこと、そして富裕層に指示されたという背景があるのです。

  • 西陣爪掻本綴織

    綴織の歴史は古代バビロニアに遡り、日本へは飛鳥時代に大陸文化と共に、中国から伝来しました。当時の織物は、東大寺正倉院宝物として確認されています。平安時代より、京の都の北西部には「織部の司」という朝廷直属の機関があり、 高級織物や美しい染色美術品が盛んに作られていました。高度な技術持つ職人たちが 集まっていたその町こそが、西陣織の発祥の地だといわれています。

  • 綴織は人生に例えられます。
    経糸が寿命その生き様は緯糸です。

    綴織は絵画に似ています。下絵には計算された型紙のような図案があるわけではなく、色、形ともに職人の完成と技に委ねられています。画家がさまざまな絵の具を使ってパレットの上で色を作るように、職人は、多彩な色糸を綴り合わせて新しい色を作りだし、掻き寄せる爪の下限で曲線を描きます。たとえ同じ図案を用いたとしても、それぞれに違った味わいがあり、仕上がった織物は、職人の豊かな感性と高度な技術が注ぎこまれた、世界にひとつだけの作品となるのです。これこそが、西陣爪掻本綴織が日本美術織物の最高峰と呼ばれる所以であり、最大の魅力といえるでしょう。

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